塩飽島戦記

著者/吉田 幸男さん

a_009_sio 日本国海運の基礎を築いた瀬戸内海にある小さな島、塩飽の海賊衆を歴史に基づきながら描いた小説!

吉田さんは、現在は諫早にお住まいですが、元々は塩飽島のご出身ですか?

はい、15歳の春まで、塩飽で育ちました。塩飽島は、瀬戸大橋がある橋桁になった島で、先祖がそこで暮らしていました。現在も、島に家は残してあります。
私の先祖は、村上水軍を倒して、その後、秀吉の水軍になり、徳川幕府の御用船になって、引き続き長崎の海軍伝習所に所属していて、咸臨丸に乗っていました。
その中の一人になります。海軍伝習所には塩飽から240名ほどの人が所属していたみたいです。
私自身は、諫早に無線局があり、通信士として赴任してきたことにより、現在は長崎で暮らしています。長崎とは先祖共々不思議な縁があるのかもしれませんね。

村上水軍はよく知られていますが、塩飽島海賊衆はどんな特徴がありますか?

村上水軍は、戦国時代に活躍したのですが、秀吉時代に海運する船から税金をとる村上水軍は邪魔な存在になっていたのです。
塩飽海賊衆は、荷物を運ぶだけなので、秀吉にとっては好都合な輸送部隊だったので、村上水軍に取って代わっていきました。
当時、人口は2500人、船も数百隻もあり、海運の基礎となったのです。世間的にはあまり知られていなくて残念ですが。

約240ページに及ぶ大作ですが、どんな点にご苦労されましたか?

そうですね、歴史はいじれないので、誰でも読みやすいように小説にしました。
歴史書にしてしまうと、例えば、何か歴史上の事実があったら、その背景に何があったかとか書けないですよね。
事実だけ述べると1行で話は終わってしまいます。
ある程度事実に基づき着色した方が、面白いので小説として出版しました。

塩飽海賊衆は長崎とも縁があったのですか?

はい、幕末から江戸時代に起こった島原の乱の鎮圧のために、幕府の人間や、物資を運んでいました。
長崎奉行の時は、瀬戸内海に運ぶ物は、必ず塩飽の船で運んでいたみたいです。公用の御用を司った海賊衆と言えます。

過疎化がすすむ塩飽島に少しでも観光で訪れてもらいたいという気持ちを込めての出版だそうです。
現在は新たな視点で塩飽の海賊衆のお話を執筆中です。
塩飽の話をされる時の吉田さんは、少年のように目を輝かせていらっしゃいました。