「左手の手記」-闘病日記-

著者/大塚敏郎さん

俳句とは「生きている証」。

辛い闘病生活を日記として綴り、生き甲斐にもなった俳句集

book_41俳句を始められたきっかけは?

私が俳句を始めたのは、昭和48年に対馬支庁へ転勤したとき、同じ職場の先輩のお母さんが、地元の句誌の事務局長をされていた関係上、俳句を勉強することになったのです。五・七・五を書き散らしたノートをその句会(くちなし)に持参して、テストを受けたら合格しまして…。最初は、灰皿配りと投句用紙のガリ版切り、それと用紙の調達でしたけどね(笑)。それがきっかけです。

最初に出された“俳句で綴った自分史”「打水の夢」を出版されてからの反響はどうでしたか?

当時“俳句で綴る自分史”は珍しかったようで、勤めていた県庁の仲間や知人に配ったところ、関心をもって見てもらったようです。

今回出された第二句集「左手の手記」の出版の動機は?

「打水の夢」を出版した年の8月、脳梗塞のため三度目の入院をしましたが、その時は、右半身が不随になりましので、さすがにもう駄目だと思いましたね。リハビリを重ねて、どうにか左手で文字も書けるようになり、担当医からの助言もあって、パソコンも訓練しました。
それから句もだいぶ書き溜まりましたので、出版することにしました。私にとって、この本は、闘病日記であり、左手で書いた手記でもあります。

大塚さんにとって、俳句とは?

そうですね、「生きている証」ですかね。俳句をやめたときは、死が近づいたときでしょうか。それぐらい大好きです。もう生活の一部になっています。

今後第三句集の出版は考えていらっしゃいますか?

どうでしょうか…。でも、これからも書き続けていこうと思っていますので、また、まとまったら出版するかもしれませんね(笑)。
今は週に7句の作品を、通っているデイ・ケアの掲示板に貼りだしてもらうのが楽しみになっています。

闘病生活も奥様と二人で乗り越えてこられて、海外にいらっしゃるお孫さんの話を目を細めてされている姿が印象的でした。
これからもお二人仲良く、第三集目指して頑張ってください。